Moon Jelly 海月-くらげ-
TOPルネサンスの風


大洋を気ままに揺れる
そんな風に、思われている
それでも、少し北の海に来てしまったように思う
マンボウには波間にぴんと出した自分の背びれが、少しばかり頼りなく感じられた
群れから離れてしまったのはいつのことか、思い出せない
一人で気ままに揺れているのは、悪くないと思っていた
温かな海にいたときには感じなかったことを、今更ながら思い出すようになっていた
ああ、一人で泳いでいるのだと
時折、海鳥が愛想よく挨拶に来る
彼らの目当てはどうも自分の体につく寄生虫らしい
マンボウはなぜか寄生虫が肌につきやすい
おやつにはちょうどいいらしく、大きな体を海面に横たえると、つまんでいってくれる
肌はすっきりとするから、マンボウにとってもそれは恩恵だった
それでも、一人だと思う
夜闇に揺れると、それはいっそうそうだと思われる
そんなことはかまわなかったはずなのに、ふと今宵も月を見上げるのだ
気付けばどこにでもある月は、その時々で姿を変える
今宵見上げる月は、いつぞやと違い、ずいぶんふっくらしている
いや、むしろ満腹なのだろう
マンボウは知っていた
その満たされた月は、その次には見る影もなくなり、やがてほっそりとした優美な光を照らしだす
だが、今はまるまるした姿を海面に映し出していた
それは、凄まじいほど美しい
群れにいた頃はそれを感じることもなかったのだが、月影に親しみを想う
どこまでも、月はそこにある
どこにでも、照らし出す
そのことに気持ちが和らぐのを感じている
恋慕ではない
思い起こせば感じるそれは、古い知己に出会うような感情に似ていた
友人の傍にいる、というのでは近すぎる
見知らぬ者に出会う、好奇とも違う
陽光のような力強さはなく、淡く白く、冴えているのにも関わらず、柔らかい
月影に親しみを感じるには、それで充分だった

そんなことをただただ感じるままに考えていたマンボウの目の前を、白い影が横切った
厳密にいえば、それは白い、というのではなく、半透明
意識する前に本能がそれを嗅ぎとり、吸い込む
マンボウにとってはいつもの捕食行動に過ぎない
ミズクラゲ、だということはかろうじて知っている
温かな海から、少し北寄りに泳いできた
それでも、このクラゲはどこにでもいる
食生活が変わらないということは自分の体を保つうえで重要なことで、それをマンボウは本能で知っている
だから、その行動はいつもと同じ、ただそれだけのことだった
半透明の傘をかぶったミズクラゲは、ときに、月の光を受けて美しい
そう、まるで月影をその身にまとったように
どこまでも追いかけてくる月と、どこにいても出会えるミズクラゲ
そんな似通った些細なこと
だが、それでもマンボウにとってのクラゲはただそれだけの存在なのだ
これまでは

意外に思われるかもしれないが、マンボウはかなりの遊泳力がある
気ままに揺れていることはもちろん嫌いではないのだが
背びれと尻びれを羽ばたかせるように力を込めた
何かに、突き動かされるように
マンボウは一人で泳いでいた
群れを離れた理由はわからない
それから長い時を一人で過ごした
ただ、はぐれてしまっただけかもしれない
それも思い出せないほど、一人の時を過ごしていた
見上げると月があり、月が海面に落とす影を傍に、波に揺られる
そんな夜を幾度過ごしたことだろう
今も
月は海面に影を落としている
力強く水を掻いていく
どれだけ一人で泳いでも、その影は追いかけてくる
どれだけ、どれだけ、どれだけ
その月影を求めても
追いつけない
マンボウは知っていたのだ
その月影には届かないことを
だから、これまで試したことはなかった
だが、今マンボウがこれだけ力を尽くして追いかけているのは
月に、求められたからだ
呼ばれている
これまで、そんなことを感じたことはなかったのに、確信的にそうだと言える
脳裏に淡い白い影がよぎる
月の光を受けた、柔らかな色
だが、それはなんだっただろう
体の内側から、求められていると思う
月が海に落ちてきたように思う
それを取り込んだから、月に呼ばれているのがわかったように思う
そんなすべてがそろそろどうでもいいのかもしれなかった
マンボウは全身の力を込めて、水を蹴る
その大きな体が浮かび上がり、しぶきが散り、虚空を切る
まっすぐに
その先には満たされた月
いや、次に見るときには細く頼りなく凄惨なまで優美な姿
永久に満たされることのない、貪欲な繰り返しを強いられる影
ふいに突き進んだ何かが浮遊感に替わる
長く一人ですごした時間を、意識とともに手放した
声が、聞こえた気がする
何かを、呼ぶ声

ミズクラゲは時に、大発生することが知られている
また、動物性プランクトンのほか、仔魚を捕食する
後日その海域で、海面に揺蕩うマンボウとおびただしいほどのミズクラゲが目撃されている
まるで、ミズクラゲがマンボウに呼び寄せられたかのように
・・・食い破るかのように引き寄せられた、淡く透き通った白い無数の影が、月に照らしだされていたという